社会が僕に向いてない

ままならんよね

かぞくなんてなーいさ:殴り書き編

(注:この記事は、弟への謝罪と、親への復讐のために書きました。やたら長いですが、僕の親だけは読んでください。どうせ見てるんでしょう?読んだ上で、何も連絡をよこさないでください。それがあなたたちにできる唯一の贖罪です。妹よ、君だけは読まないほうがいいよ。こんなページ早く閉じてゆっくりお休み。)




僕は、愛されて育った方だと思う。

 

衣食住が保障され、それなりの教育も受け、いろんな機会も与えられた。



それなのに、物心ついたころには、家族というものに違和感があった。

 

母は、その愛に見返りを求める人で、

父は、自身が思っているよりもずっと古い人間だった。

妹はいつの間にか産まれ、弟も、いつの間にか産まれた。

 

幼少期の僕は、

なぜ押し売られた愛に応えなければならないのか分からなかったし、

なぜ親の権力がそんなに大きいのかも分からなかった。

 

それでも、僕はよく妹と弟の面倒を見ていて、

「もう兄弟を増やさないでね」という趣旨のことを母に言ったらしい。

それを笑い話だと思っている母から聞くのは、もう少し後の話。



大人たちは、食わせてもらっているんだから、と言う。

 

子供たちは、食わせてもらっているんだから、と言う。

 

選んで食わせてもらっているわけじゃない、と言うと、

悲しい顔をされるか、脅される。

 

その前提部分で破綻した論理だから、

社会は小さいころから「産んでもらった親に感謝しましょう」を刷り込んで、

前提に疑問を抱かないようにしている。

そうしないと生きていけないものね。

 

でも、その破綻が気になってしまった僕は、テレビの家族愛では泣けなかった。

たくさんの人が涙しているのに泣けないなんて、冷たい人だ、とみんなが言う。

どう考えても前提がおかしいのに、と思いながら、泣ける、と僕も言う。



僕が中学生になっても、相変わらず母は媚びるように僕を見たし、

父は経験の一点張りで自分の正しさを妄信した。

彼らと本心でコミュニケーションをとるには、

僕が未だに「産んでもらった親に感謝しましょう」に納得できていないことを

伝えなければならなかった。

それはとても残酷だし、面倒だった。



親に、そうだね、とだけ言うようになった。



それでもまだ、母だけが「理想の家族」をやろうとしていた。

父は、中学生向けの自己啓発本を僕に渡して「家族」をしている気になっていた。



とても気持ち悪かったけれど、

傍から見れば、特に大きな問題もない普通の家族で、

それは、「大きな問題なんてない」という共通の信仰が、

家族としての最後の絆になっていたからだった。





まず、父が逃げた。




続いて、妹が逃げた。




気が付くと僕は高校生になっていて、母の嫌いなロックに傾倒した。




妹は何やら芸能活動のようなことを始めたらしい。母の嫌いそうなことだ。




弟は、みんなが放棄した親の面倒を一手に引き受けることになった。




このころは、弟だけが家族の関係に向き合っていた。

 

母は、私だけが向き合っていた、と今でも思っている。

「理想の家族」に逃げていただけなのにね。

 

バンド界隈に身を置くと、家族がらみの問題なんてその辺に転がっていたから、

「大きな問題なんてない」を信じやすかった。

だから僕は音楽の力なんて信じていなくて、

ただ手に取ったのが音楽だっただけだな、と思う。

 

母に優しくするのをよってたかって弟に押し付け、

父が子供たちをエンタメとして消費するのを感じながら、

僕は大学生になった。



大好きなバンドをやめてまで東京に逃げたけれど、「家族」は東京にもついてきた。

弟は「家族」の犠牲になり、中学校を転校することになった。

 

東京に行くためにバンドを抜けることを知って何故か怒った母も、

怒った母から連絡が来た、とわざわざ僕に告げた父も、

自分で去就を決めたつもりでいた僕も、

自分たちが悪いことに気が付く気配がなかった。

 

東京で、「家族」5人の暮らしが久々に始まった。

 

全くうまくいかなかったらしい。

僕は学生の身分を利用してなるべく家から離れていたし、

家にいるときは部屋にこもっていたから、弟と妹ほどには知らない。




やがて両親は、不和を隠すことを諦めた。

「大きな問題ではない」信仰が破綻した。

 

怒声と嗚咽。

彼らは子供に救いを求める。

 

自分たちでめちゃくちゃにしたのに、尻ぬぐいは子供のお仕事なのね。

 

僕はかかわりたくなかったので家を出た。

 

たぶん僕が当時の彼女と同棲を始めたのは、

説明して回ったような理由ではなくて、

親とかかわりたくなかったのが大きかったと思う。ごめんね。

 

父と妹もいつの間にか家を出て、

弟は、母と二人で暮らしながら、空洞ですを歌っていた。

誇らしげな父からそれを聞いたけれど、悔いこそすれ、誇るようなことではないよ。



そうやって、いつの間にか、親と仲良くするメリットが

お金くらいしかなくなっていった。

同じくらいの時期から、父がしきりに親孝行について語るようになったけれど、

甘めに見積もっても、今まで生かしてもらったのと、

こんな思想の人間に育てられたのとでトントンですよ。

 

親孝行をさせたかったら、「家族愛」か「生きていれば十分」を

信じるように育てないといけなかった。どちらかで良かった。

何を言っているか分からないでしょう?

なんでそんなに悪く言われるのか分からないでしょう?

だから、こうなっているんだよ。



この後、最近までの話は、まだちょっと消化しきれていないし、

理不尽に傷ついてしまう人がいるから、吐き出すしかなくなるまで持っときますね。



本当は、ちゃんと文章にしようかな、と思っていたお話だったのですが、

「子供たちは両親のことを気にかけていて、

 俺が再婚すると子供たちは複雑な気持ちになるだろう」と

未だに勘違いしている人がいて腹が立ったので、殴り書きで出します。

 

殴り書く以外でブログ書けたことないな。



あ、たぶん読み飛ばしたか忘れていると思うので、

念のためもう一度書いておきますね。

 

これは弟への謝罪と、親への復讐です。

僕の親たちは、これを読んで連絡をよこしたりしないでください。